ロバータ・フラック(Roberta Flack)が死去 “やさしく歌って”“愛のセレブレイション”などのヒット曲で知られた稀代のソウルシンガー |

ロバータ・フラックが死去した。

ロバータ・フラックの画像

[ローリング・ストーン誌](https://www.rollingstone.com/music/music-news/roberta-flack-dead-1235277622/) によると昨日2月24日、ロバータ・フラックが88歳で亡くなったことを彼女の代理人エレイン・ショックが認めた。ステートメントでは、〈ロベルタは限界と記録を打ち破りました。彼女は誇り高い教育者でもありました〉と述べられているという。またInstagramなどロバータのSNSアカウントには追悼ポストが投稿されており、〈覚えておいてください。常に光の中を歩きましょう。光の中を歩いていないと感じたら、光を探しに行きましょう。光を愛しましょう〉という本人の言葉が写真とともに掲載されている。

ロバータ・フラックは1937年、米ノースカロライナ州生まれのシンガー/ピアニスト。音楽一家においてバージニア州で育ち、9歳でピアノに興味を持った。コンクールで優秀な成績を収めたことにより、奨学金を得て弱冠15歳でワシントンD.C.のハワード大学へ進学、クラシックと声楽を学んだ。しかし父が亡くなったことで大学院を中退し、教職で生計を立てざるをえなくなる。

D.C.で教師として働く傍らナイトクラブでの演奏も始めたが、声楽の教師からクラシックではなくポップミュージックの道をすすめられ、レパートリーを変えたことにより評判が高まってプロの歌手として活動を始めた。

1968年にアトランティックのオーディションを受けて認められ、翌1969年にデビューアルバム『First Take』をリリース。1971年にはデニス・サンダース監督の伝説的なコンサート映画「ソウル・トゥ・ソウル」に参加した。

さらにザ・シュレルズのカバー“Will You Still Love Me Tomorrow”がヒットしたあと、クリント・イーストウッドの初監督映画「恐怖のメロディ」(1971年)で使用された“The First Time Ever I Saw Your Face(愛は面影の中に)”が1972年に全米1位を獲得。同曲は第15回グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞した。同年、ダニー・ハサウェイとのデュエット曲“Where Is The Love(恋人は何処に)”もヒットさせる。

1973年には代表曲として知られる“Killing Me Softly With His Song(やさしく歌って)”も全米1位に輝き、第16回グラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀女性ボーカル賞を受賞。最優秀レコード賞を2年連続で受賞する偉業を成し遂げた。

以降1990年代に至るまで“Feel Like Makin’ Love(愛のためいき)”、“Making Love”、“Oasis”、“Uh-Uh Ooh-Ooh Look Out (Here It Comes)”、“Set The Night To Music”といったヒット曲をものにした。

また髙橋真梨子の曲を英語詞でカバーしたアルバム『FRIENDS ~ROBERTA FLACK SINGS MARIKO TAKAHASHI~』(1999年)を発表し、平井堅のアルバム『Ken’s Bar III』(2014年)に参加して“やさしく歌って”をともに歌うなど、日本との交流も深かった。

2022年には筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹患して闘病中であることを発表し、芸能界を引退していた。

ソウル/R&Bのスタイル〈クワイエットストーム〉の先駆者的な存在として後続に多大な影響を与えたことでも知られるロバータ。その美しくも抑制的で優しい、深みを湛えた歌声は唯一無二だった。またクラシックの素養を持ち、音楽に対する豊かな知識とアプローチ、深い愛を携えた特別な才能だった。稀代の歌い手の死に哀悼の意を捧げたい。

ロバータ・フラックのアルバム「The Very Best Of Roberta Flack」

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